皆さんはTwitterを使用していますか?
僕は2ヶ月前、ブログ開設と同時にTwitterを始めました。
- ニュース/トレンド
- 宣伝効果
- 溢れる情報量
- 圧倒的な拡散力
- ネットの繋がり
- ビジネス
やって良かった!やらない方が損じゃないか!
どっぷりハマり、あまりに感動したので他の人に勧めたこともあります。
しかし、Twitterから少し離れようと決めました。
それは僕自身にとってデメリット要素が大きいためです。
- Twitterのメリット
- Twitterのデメリット
- 2ヶ月しようして感じたこと
をお伝えします。
記事はあくまで【個人的な感想】です。偏見に満ちているかもしれません。
温かく見ていただければ幸いです。
目次
【個人的感想】Twitterのメリット
僕が考えたTwitterのメリットは以下の通りです。
- 日本中、世界中の人との繋がり
- 身の周りに居ない「凄い人」がたくさんいる
- 仲間ができる
- 刺激をもらえる
- 共感してもらえる
- リプをもらえると嬉しい
- イイねしてもらえると嬉しい
- フォロワー数が増えると嬉しい
- 拡散してもらえる
- 自身の伸び率が明確にわかる
- ブログを読んでもらえる
- ビジネスに繋がる
- 新しい出会いが生まれる
- 自分自身が成長できる
出会い、繋がり、共感、拡散、いいね、どれも刺激的ですよね。
そして成功している多くの人が、Twitterを使用を勧めています。
僕は完全にTwitterに魅了されました。
「Twitterをしない人は情報弱者になってしまう」と思いました。
しかし、最近考え方が変わったのです。
デメリットばかりが見えてきたことが原因です。
【個人的感想】Twitterのデメリット
僕が感じたデメリットは以下の通りです。
- 時間を奪われてしまう
- 情報量が多すぎてブレてしまう
- ありのままではなく、背伸びする必要がある
- 注意しないとTwitterの中で生きてしまう
- 本当に大切なものがわからなくなる
今の時代、SNSは必須アイテムだと思います。
活用次第で素晴らしいツールになります。
しかしTwitterを2ヶ月続けて感じたことは、諸刃の剣であるということ。
正直僕には「息がつまる世界」のように感じました。
2ヶ月経って感じたことをお伝えします。
【取扱注意】Twitterを2ヶ月続けて感じたこと
2ヶ月続けて感じたことは以下の通りです。
- 名前も顔も知らない人と上部の付き合い
- 【有益な情報を流すべき】という独自ルール
- 【共感の情報を流すべき】という独自ルール
- 「価値を提供し続けなければいけない」脅迫概念
- ありのままより、いつも背伸びした状態
- 自分に嘘ついて、他人にも嘘をつく
- フォロワー数が少ないと見下しがち
- 何気ないツイートは「価値ない」レッテル貼り
- 上部の褒め合い/慰め合い/心配
- 弱い人をさらして笑い者にする
- ほとんどの人が情報に踊らされてしまう
- 上手に利用する人は一部
息苦しい世界
Twitterの世界を知るにつれて、フォロワー数が増えるにつれて、息苦しさを感じるようになりました。
「あの人は凄く良いこと言ってるな、自分も価値を提供しなきゃ…。」
と謎の脅迫概念が出てくるようになったのです。
Twitterには、有益な情報、お互いの褒め合い、そして綺麗な言葉ばかりが流れてきます。
「それ本当に思っているの?本気で言ってるの?嘘はないの?」と疑問を感じてしまうのです。
なぜなら自分が背伸びしているから。
僕だけでなく皆んな背伸びしてます。
「いいね」をもらうために、「成功」するために、必死に背伸びしています。
互いに褒めあって(本心は不明)、価値を提供し合うのです。
実績も何もない僕が、本名を名乗らずに、知らない誰かへ、必死になって価値を提供する。
こんな自分に違和感を覚えました。
諸刃の剣
Twitterは諸刃の剣です。
上手に活用すれば、「人生変わるほど強力なツール」です。
有名になる、インフルエンサーになる、仕事が増える、ビジネスができる、お金が生まれます。
出会いもあり、仲間ができ、人生が豊かになる人もいるでしょう。
しかし、ほとんどの人がTwitterに振り回されてしまう気がします。
スマホやPCに依存して、通知を気にして、いいねを気にして生活します。本当か嘘かわからない情報に常に惑わされます。
お金を作るために、ありのままをさらけ出さず、仮の自分に身をまとい、背伸びをした自分で、名前も顔も知らない人と、本当か嘘かわからない言葉と感情で、上部だけの付き合いを懸命に行う。
中途半端な気持ちでTwitterをした場合、大切な「時間」だけが失われ、結局何も残らなくなってしまいます。
Twitterの世界は個性主義がすべて
『7つの習慣』の本で「人格主義」と「個性主義」という言葉が出てきます。
Twitterの世界は完全に「個性主義」でできています。
個性主義では、成功は、個性、イメージ、行動、態度、スキルなど、人間関係をスムーズにする手法やテクニックから生まれるものだと考えられるようになった。
…
そのほかにも個性主義の中では、明らかに人を操ったり騙したりするための方法論を展開する文献もあった。それは人に好かれるためにテクニックを使い、あたかもその人の趣味に興味を持っているかのようにしたり、あるいは強圧的に相手を脅したりして、都合よく人を利用して人生を過ごすように勧めていたのである。引用元:『7つの習慣』
Twitterで成功するには「どう価値を提供し、どう共感してもらえるか、何に価値が生まれるか」が重要です。
現代のネット社会では「個性主義」の考え方の方が大切かもしれません。
しかし僕のような土台の人格が備わっていない人が、「背伸びして自分」でTwitterをして本当に価値を提供できているのでしょうか。
自分の人格に基本的な欠陥、二面性、あるいは不誠実さを持ちながら、テクニックや手法だけで人を動かしたり、仕事をさせたり、士気を高めようとしたりすれば、長期において成功することはできない。
いずれは、その二面性によって相手に不信感が生まれるからである。いくら人間関係を改善させるためのテクニックを使ったとしても、それはすべて相手を操ろうとしている行動にしか見えない。信頼という土台がなければ、永続的に成功することはあり得ない。基礎となる人格の良さがあってはじめて、テクニックがいきてくるのだ。
引用元:『7つの習慣』
基礎である人格を無視して、テクニックだけでTwitterで成功をつかもうとする人がほとんどな気がします。
もちろん、僕含めてです。
フォロワー数を増やそうとする人を多く見かけますが、「何のために増やすのか?」疑問を持つようになりました。
そして「有益な情報を流さないのに、フォロワー数を増やしても意味がない。」と言う人にも疑問を持つようになりました。
- 自分の中身がないのに、フォロワー数を増やす意味はあるのか?
- 有益な情報を提供するべきという強制的な決まりはあるのか?
- ていうか僕が横からやいやい言う権利ない。
もうわけがわからんくなるのです。
目的を明確にしてTwitterを使用する
僕なりの答えをまとめると
- 背伸びした自分でTwitterをしても意味がない
- Twitterをするなら、ありのままの自分で運営する
- そのためには、自分自身を成長させる必要がある
- 中身がある人が運営すれば、Twitterに意味が生まれる
- 目的を明確にしてTwitterを運営した方が良い
取り扱いは注意した方がいいと思います。
多くの人が大切な「時間」を削り、背伸びをした自分で人と繋がり、人生が豊かになったつもりでいます。
もしも今僕が死んでも、Twitterで泣いてくれる人は誰もいません。
もしあなたが死んだら、Twitterで泣いてくれる人はいますか?
本当に大切なことは、Twitterの中にありますか?
Twitterの全てが悪いとは言いませんが、Twitterの世界に操られないように気をつけてください。
僕が色々言う権利はありませんが…目的を持ってTwitterを使用するべきです。
それは強く主張したいと思います。
Twitterは便利で素晴らしいツールです。
しかし取り扱い次第で、もたらす結果は良くも悪くも大きく変わります。
目的を明確にして使用しましょう。
背伸びしてTwitterをしているなら、意味はないと思います。
ネット社会との関わり方について
現実でも、ネットでも、魅力的な人はいつも「ありのまま」の人です。
なにが本当わかんなくなる
誰がリアルわかんなくなる
ネットで嘘の知識ばらまいて
みんな馬鹿正直信じてる
経験すらしてねーのに
全てシンプル だけどシビアありのまんま ありのまんま
やっぱそれが一番だな
Twitterでも魅力的な人はいます。そういう人は必ず「ありのまま」の人です。
しかし、ほとんどの人が「意識高い系」。
どこか自分を良いように見せ、カッコつけ、綺麗に見せ、背伸びしているように見えます。
成功が欲しいがために、価値を提供して、共感を求めます。目的は自身の価値を高めるため。上部は良いこと言いますが、人の幸せより自分の幸せ優先する人ばかり。(間違っていたらすみません…。)
魅力ある人と繋がりたいけど、魅力ある人に見せかける人の方が圧倒的に多い。なぜなら僕もその一人だから。
自分の成功(幸せ)のために背伸びし続けていることに気づき、Twitterに疲れてしまいました。
Twitterの繋がりは素敵だと思います。ですが、
「Twitterの皆と出会えて、本当に良かった」と本気で言う人。それを受け取るフォロワーさん。
本当ですか?上部ですか?偽りないですか?と思ってしまうのです。
良いこと言うけど、することが幼稚
一番疑問に感じたことは、弱い人をさらし者にすることです。
「成功の法則について」ツイートを流すAさんがいました。
Aさんはキャラクターで身をまとい、正体不明の人物です。
しかしその情報量、価値ある情報に、多くのフォロワーさんがいました。そんなある時
Aさん『「フォローください」といきなりギブを求める人とは関わらない。まずは挨拶から。自分からギブを。』
と「フォローください」リプした人をさらし者にするのです。
そしてAさんには共感のリプが集まりました。
さらし者にする必要はないですし、その人に対して配慮ある対応もできたはずです。
綺麗な言葉を並べるけど、人はけなすAさんの幼稚さに違和感。さらにAさんに共感が集まる光景に疑問を感じました。
Twitterをしていると
「有益な情報を提供すべき、フォロワーさんを大切にしよう、とにかくGIVEしよう」
という強制ルールを求められる気がします。
実際は求められていないし、Twitterの使い方は自由です。
僕はそう感じました。
日本人独特のTwitterの世界
RADWIMPS野田洋次郎さんが、本で「日本とアメリカの違いについて」語っている部分があります。
日本でいじめに発展しそうな事柄と言えば変わった名前、容姿、洋服がみんなと違う、片親、言葉が訛ってる(田舎もん)。
まぁほぼ理由になっていない「キモい」だとか「ウザい」みたいなこともあるだろう。引用元:『ラリルレ論』
Twitterの世界でも同じです。
変わっている人がいたら、関わらないか、いじめ対象。
有益な情報を流す人達で仲良く集まりあって、互いに褒めあって(本心は不明)、有益じゃない人はハブく。
Twitterは自由だけど、最低条件は
【有益な情報提供か、共感することの提供】
外国のTwitter世界は知りませんが、この風潮は日本独特だと思います。(たぶん)
これをアメリカの学校で当てはめようにも、到底無理なのだ。
…
様々な眼、髪、肌の色、格好、皆微妙に異なる発音、宗教、宗派、名前。また、クラスの半数は親が離婚しており、新しい母親、父親、兄弟がいることがなんでもないことだった。共通項を探す方が難しい。
日本でいじめの原因になることが、ここでは当たり前だった。
そして違うからこそ、お互いを知る作業が楽しかった。
…
そんな中で暮らした僕にとって、日本に帰ってからと言うもの、日本人の中で繰り広げられるいじめは幼稚に感じた。ずっとずっとアメリカでの友達のほうが、大人に感じた。
引用元:『ラリルレ論』
みんな違って、みんないい。
みんな違うから面白いはずなのに
Twitterにいると「情報、価値、共有」が絶対な気がしてならないのです。
Twitterは楽しむもの
Twitterを本心で、心から楽しんでいる人もいます。
上手に使用する人もたくさんいます。
ですが、僕は背伸びをしなければTwitterができません。
自分に嘘をついて、他人を欺いてまで、
Twitterを使用しても疲れてしまう。
ネット社会、Twitterとの関わり方は、一度考えた方がいいと思いました。
まとめ
Twitterは「目的を明確にして」使用する。
Twitterは「ありのまま」で楽しく使いましょう。
僕はブログの宣伝、運営報告の提供としてTwitterを使用していきます。
温かい目で見ていただたら幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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